YMOの思い出



皆さま、こんにちは。【あみの音楽昔ばなし】の時間がやってまいりました。2023年も、もう4ヶ月が過ぎようとしていますね。今年になって、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーだった高橋ユキヒロさん、教授の愛称で親しまれた坂本龍一さん、そしてYMOファミリーといわれたシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんが相次いで旅立たれました。とても悲しい出来事でした。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、YMOの思い出などをお話しできたらと思います。

私とYMOの出会いは1980年ごろだったと思います。当時私は中学生。自宅の最寄りの駅から電車に乗って、繁華街・横浜に遊びに行くことを覚えたころでした。横浜の駅ビルの中にあったレコード屋さんに行ったとき、店内のテレビ画面でライブ映像が流れていたのです。赤い人民服を着て黙々と演奏する男性たちと、その横でピョンピョン飛び跳ねながらキーボードを弾く女性の姿が映し出されていました。シンセサイザーのキラキラした音色とノリのよいリズムに魅かれて、私はしばらくその画面に見入ってしまいました。その時は彼らが誰なのかわかりませんでしたが、その後テレビやラジオなどの情報により、彼らが”イエロー・マジック・オーケストラ”という3人組(細野晴臣さん:ベース、高橋ユキヒロさん:ドラムス・ボーカル、坂本龍一さん:キーボード)のグループであることがわかりました。(ピョンピョン飛び跳ねていた女性がサポートメンバーの矢野顕子さんだと知ったのは、もうちょっと後のことでした。)

そのころ、私と仲のよかった男子で、N君という子がいました。N君と私は小学生のときに同じ器楽クラブで活動していて、話が合ったのです。私がN君にイエロー・マジック・オーケストラの話をすると、彼はこう言いました。「おまえ、イエロー・マジック・オーケストラ好きなの?オレの兄貴がレコード持ってるから、今度借りてきてやるよ。」と。そして数日後、私はN君からYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を借り、早く聴きたいがために急いで家に帰ったのです。

ワクワクしながらレコードに針を落とすと、いきなりゲームの音楽が聞こえてきたので嬉しくなりました。というのは、当時”インベーダー”というコンピューターゲームが大流行していて、私も年上のいとこに連れられて、インベーダーを遊びに何回か喫茶店に行ったことがあったからです。(インベーダーゲームの機械はテーブルとして使えるようになっていたので、喫茶店に置いてありました。)ゲーム音楽で幕を開けたアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』は、シンセサイザーの広がりのある音色、心も弾むリズミカルなテンポ、中国ふうのちょっと不思議なメロディーなど、それまで聴いたこともないようなサウンドで彩られていました。私はYMOの世界にすっかり魅了され、レコードを貸してくれたN君兄弟に感謝したのでした。

YMOは『イエロー・マジック・オーケストラ』の後に『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』というアルバムを発売しました。ここからは ”テクノポリス” ”ライディーン” という大ヒット曲が生まれました。YMOの音楽はテレビやラジオで盛んに流れるようになり、YMOブームが巻き起こりました。学校のクラスの中でもYMOの知名度はぐんと上がり、休み時間には教室の片隅にあったオルガンで ”東風” にチャレンジする子まで現れました。

ほどなくして「YMOがニューアルバムを発売する」という情報が入ってきました。私はさっそく近所の商店街のレコード屋さんに予約をして、発売日を楽しみに待ちました。こうして手に入れたアルバムが『増殖』です。最初にこのアルバムを手にしたとき、私は驚きました。なぜなら、アルバムのジャケットがダンボールで出来ていたからです。「変わったレコードだなあ。」というのが第一印象でした。そして、聴いてみてさらに驚きました。曲と曲のあいだにスネークマンショーというコントのようなものが挟まる斬新な構成になっていたからです。スネークマンショーそのものは、以前ラジオ番組で聞いたことがあったので知っていましたが、まさかYMOのアルバムに出てくるとは思っていませんでした。スネークマンショーのネタは大人向けで、中学生だった私には意味がよくわからず、正直あまりおもしろいとは思えませんでした。スネークマンショーを聴くのが億劫だったために『増殖』はそれ以前のアルバムに比べると聴く回数が減る結果となってしまいました。しかし、アルバムのなかのYMOの曲は良かったです。”ナイス・エイジ” は、ユキヒロさんの魅力全開のナイスなポップソングでしたし、”タイトゥン・アップ” もダンサブルで楽しい曲でした。”タイトゥン・アップ” はアーチー・ベル&ザ・ドレルズというソウルグループのカバーなのですが、当時の私はそれを知らず、この曲はYMOのオリジナルだと長いあいだ思っていました。

『増殖』が期待していたものとはちょっと違う作品だったため、私の関心はYMOメンバーのソロアルバムのほうへと向かっていきました。貯めていたお年玉を使って、レコードを少しずつ買うようになったのです。まずは大好きな高橋ユキヒロさん。(ユキヒロさんは後にお名前の表記を幸宏に変更されましたが、私が熱を上げていたころはカタカナ表記だったので、当時のままカタカナを使わせていただいています。)彼のソロアルバム『音楽殺人』は時代の空気を映したかのような明るくキラキラしたポップアルバムで、ユキヒロさんの個性的なボーカルが堪能できる魅力的な作品でした。そして、ユキヒロさんが参加していたサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』も買いました。このアルバムでは ”タイムマシンにおねがい” という曲が気に入り、何度も聴きました。それから坂本龍一さんの『千のナイフ』。この作品は、当時の私にはちょっと難しかったですね。シンセサイザーを使った音楽なのですが、YMOとはまた違った雰囲気で、「よくわからないけど、教授ってすごく頭のいい人なんだろうな。」という感想が残りました。そして、YMOのサポートメンバーとして活躍していた矢野顕子さんのライブ盤『東京は夜の7時』。童謡のようなほんわかした曲をキリッとシャープに演奏する彼女に、「すごいなアッコちゃん。才能あるんだな。」と感心しました。ところで当時の私は、なぜか細野さんにはそれほど関心がなく、彼がYMO以前に発表した作品に手をのばすことはありませんでした。なので、細野さんがはっぴいえんどという歴史的なバンドにいたすごい人だということは、それから数年後に知ることとなったのです。

高校に進学後、私の興味はYMOを含む日本の音楽から洋楽へと徐々に移っていきました。ですから私がYMOに夢中だったのは、彼らの活動期間の初期のころということになります。短いあいだでしたが、YMOに出会ったことで音楽的に充実した日々を過ごすことができ、とても幸せでした。さて、そろそろお別れの時間が近づいてまいりました。最後に、私のお気に入りのYMOの曲 ”シムーン” をお届けします。細野さんが作曲した素敵な曲なので、どうぞお聴きくださいね。それでは、今日はこのへんで。長いお喋りにおつきあいいただき、ありがとうございました。

  

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